第26回木曽音楽祭(8月25日〜28日)

曲目解説 解説:寺西基之


モーツァルト ディヴェルティメント第11番ニ長調 K.251
 ディヴェルティメントは娯楽音楽として18世紀後期に盛んに書かれた曲種だった。編成や楽章構成については特に決まった原則があるわけでなく、実際に様々な形態の楽曲がこの名で作られた。その点はセレナードも同様で、これらの曲種の様式上の区別は明確でない。一応セレナードが戸外で演奏される音楽、ディヴェルティメントは室内で奏する音楽と考えられたが、これも厳密ではなかった。
 さて、生地ザルツブルクを本拠としていた前半生のモーツァルト(1756−91)は、親しい関係にあった人のお祝いその他の機会のために、いくつかのディヴェルティメントを作曲している。本日のニ長調K.251は、モーツァルトが、姉ナンネルの霊名祝日(7月26日。なお霊名祝日とは名前の命名の由来となった聖人の祝日)を祝う作品として、1776年に作曲したものと考えられている。「ハフナー・セレナード」K.250の完成後に大急ぎで作曲されたらしく、全曲にみなぎる清新な気分には、前作「ハフナー・セレナード」に通じるものがうかがれるといえよう。なお一説によれば、このディヴェルティメントは、翌1777年にザルツブルクの大学修了式用の音楽(フィナールムジーク)としても用いられたということである。
 第1楽章(モルト・アレグロ)は、冒頭に示される特徴的な第1主題を全体の中心素材としたソナタ形式楽章で、第2主題も第1主題を短調にしたものである。第2楽章はメヌエットで、トリオを挟む。第3楽章(アンダンティーノ)は優美な緩徐楽章で、ロンド形式をとる。第4楽章はメヌエットだが、通常のトリオ付きメヌエットではなく、3つの変奏が挟まれる。第5楽章(ロンドー、アレグロ・アッサイ)は、事実上フィナーレにあたる快活なロンド楽章。最後に退場用の音楽としての「フランス風行進曲」が置かれる。
ラッハナー 九重奏曲ヘ長調
 フランツ・ラッハナー(1803−90)は19世紀ドイツの音楽家である。兄や2人の弟もかなりの名を成した音楽家であったが、もっとも出世したのがフランツで、1823年にウィーンに定住し(ここで彼はベートーヴェンやシューベルトと親交を結んでいる)、同地のルター派教会のオルガン奏者やケルントナートーア劇場の首席指揮者を務め、さらに1835年にミュンヘン宮廷劇場の指揮者となって、後にはそこの音楽総監督にまで登り詰めるなど、ドイツやオーストリアの重要な地位を歴任している。作曲家としても、オペラから、交響曲、管弦楽曲、室内楽といった器楽曲、さらに宗教曲に至るまで、様々なジャンルを手掛け、古典的伝統に基づいた様式のうちに仄かなロマン的香りを加味した作風は当時広い人気があったという。
 そうした彼の特質は、1857年に作曲されたこの九重奏曲(編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)にも明らかで、初期ロマン的な様式のうちにディヴェルティメント風の親しみやすさを持ったその作風は、同じ編成によるシュポアの先例にも通じるものである。
 第1楽章(アンダンテ〜アレグロ・モデラート)は、緩やかな序奏の後、ヴァイオリンのカデンツァを経て、伸びやかな曲想によるソナタ形式の主部に入る。明快さの中にも微妙な和声的陰影がロマンティックな趣を添える。第2楽章(メヌエット、アレグロ・モデラート)は生気あるメヌエット楽章で、のどかなトリオを挟む。第3楽章(アダージョ)は落ち着いた叙情の支配する緩徐楽章。第4楽章(フィナーレ、アレグロ・マ・ノン・トロッポ)は、軽妙な楽想に満ちたソナタ形式のフィナーレで、名技的なヴァイオリンをはじめ各楽器のコンチェルタントなやり取りのうちに運ばれる。
シューベルト ピアノ五重奏曲イ長調 作品114 D.667 「ます」
 シューベルト(1797−1828)は1819年夏、上部オーストリアの町シュタイアを訪れ、ここの鉱山長官パウムガルトナーと知り合った。パウムガルトナーは自宅のサロンで演奏会をよく開き、自らもチェロを巧みに弾いて演奏に加わったほどの、熱烈な音楽愛好家であった。彼が、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにコントラバスを加えたやや異例の編成(フンメルによる前例はある)の五重奏曲の作曲をシューベルトに依頼したのも、おそらくこうした自宅でのコンサートで演奏するためであったことは、想像に難くない。こうして「ます」五重奏曲は生れることとなった。作曲年については1819年説のほかに、シュタイアを再訪した1823年もしくは25年とする説もあるが、いずれにせよ風光明媚な町シュタイアの美しい自然を彷彿とさせるような、明るくすがすがしい気分に満ちた作品となっている。なお「ます」という題は、変奏形式をとる第4楽章の主題として、1817年にシューベルト自身が作曲した歌曲「ます」の旋律を用いていることによっている。
 全体は5つの楽章からなる。第1楽章(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は明るい楽想に満ちた瑞々しい楽章。再現部が下属調で始まるのは、シューベルトがよく用いた手法である。第2楽章(アンダンテ)は優美な穏やかさを湛えた緩徐楽章。3つの主要な主題を持つ前半部分が、後半では短3度上に移調されて繰り返されるという形をとっている。第3楽章(プレスト)は生き生きとしたスケルツォ。伸びやかなトリオが挟まれる。第4楽章(アンダンティーノ)は、歌曲「ます」の旋律を主題とした変奏曲。第5楽章(アレグロ・ジュスト)は、民俗舞曲風の性格を持った躍動感あふれる快活なフィナーレ。ここも第2楽章に似て、後半部が前半部を5度上に移調した形によった2部分構成をとっている。
ダマーズ 木管五重奏のための17の変奏曲 作品22
 ジャン=ミシェル・ダマーズ(1928− )はフランスの作曲家・ピアニスト・指揮者である。早くから音楽の才能を発揮し、コルトーにピアノを学ぶ一方、13歳でパリ音楽院に入学、15歳でピアノで一等賞を受賞した。作曲はビュッセルに師事し、19歳の時には作曲家の登竜門であるローマ大賞をとっている。作曲家としての彼は、現代の前衛的な動きには与せずにフランスの伝統の後継者を自任し、優美な旋律、洒落たエスプリ、洗練された楽器法を生かした様々な作品を書いている。この「木管五重奏のための17の変奏曲」(編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)も、彼の作風をよく示した作品の一つ。ファゴットの伴奏でクラリネット・ソロが提示する単純な主題が、曲想、楽器の組合わせ、リズム、速度など様々な凝った工夫によって、多彩に変奏されていく。
コルンゴルト ピアノ五重奏曲ホ長調 作品15
 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897−1957)はブルノ生れ、早くからマーラーに評価され、11歳の時にバレエ「雪だるま」がウィーン宮廷劇場で絶賛を浴びるなど神童として知られた。その後の活動も順調で、1920年のオペラ「死の都」の成功で名声は頂点に達し、ウィーンの代表的作曲家としての地位を確立する。しかし1934年ハリウッドに招かれ映画音楽で評価されたことが人生の転機となった。ナチ下に置かれたオーストリアに戻れなくなったユダヤ系の彼はそのままハリウッドの映画音楽作曲家としてアメリカに留まり、オスカー賞も2度受賞するなど華やかな活動を行なった。戦後は古典ジャンルの音楽の作曲を再開するが、伝統的語法によった作風が時代遅れとみなされたこともあり、かつての人気をヨーロッパで回復することができなかった。コルンゴルトの音楽が再評価されてきたのはごく最近のことである。
 彼の音楽は、R・シュトラウス、マーラー、ツェムリンスキーといったウィーンの後期ロマン主義の系譜に本質的に連なるものである。そのことは、オペラ「死の都」の成功間もない1920−21年に書かれたこのピアノ五重奏曲にも示されており、甘美な旋律、機能和声の枠内における錯綜とした和声、速度や発想の細かい指示による表情の多様な変化によって、濃密な響きの世界が作り上げられている。
 第1楽章(中庸の速度で、激しく華麗な表情をもって)は雄渾な第1主題とロマン的な甘美さを持った第2主題を持ち、表情の大きな揺れ動きと劇的な起伏のうちに展開する。第2楽章(アダージョ)は自作の歌曲集『4つの別れの歌』作品14に基づく変奏形式の緩徐楽章。歌曲集の第3曲「月よ、君はこうしてまた昇る」から取られた甘美極まりない主題(“きわめて静かに、常にレガートで表情豊かに”と記されている)をもとに、表現の激しい振幅のうちに9つの変奏が繰り広げられていく。第3楽章(フィナーレ、重々しく、ほとんど荘重な感じで〜アレグロ・ジョコーソ)は悲劇的な序奏(その主題は前楽章の主題と関連する)の後、ヴァイオリンのカデンツを経て、一転して明るい主部に入る。快活さの中にも様々な表情を見せて発展する技巧的なフィナーレである。
ブラームス セレナーデ第1番ニ長調 作品11(九重奏版)
 ブラームス(1833−97)は青年時代の1857年から59年にかけて、デトモルトの宮廷に務めた。各年とも9月から年末までだけの勤務で、室内楽演奏、合唱団の指揮、婦人たちへのピアノ指導が主な仕事だった。時間的にゆとりのある務めだったので、ブラームスは空き時間を作曲や勉強に当てることができ、また宮廷には45人程の楽員を有する楽団があったので、楽器や管弦楽法についての知識を得ることができた。こうした恵まれた環境の中でセレナーデ第1番が書かれることとなる。
 彼がセレナーデを書こうと思い立ったのは、デトモルトの楽団でモーツァルトのセレナーデを演奏した機会に霊感を得たからともいわれる。こうしてデトモルトでの最初の年(1857)にセレナーデは書き始められ、これは翌年までに、九重奏の室内楽編成(フルート、クラリネット2、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の作品として書き上げられた。この時は4楽章構成だったと推定されているが、その後ブラームスはこれを管弦楽用に改作、2つのスケルツォも追加し、こうして作品は1859年秋に6楽章構成の管弦楽版に生れ変わった。今日伝えられているのはこの管弦楽版で、当初の九重奏版はブラームスの手で破棄された。
 本日演奏されるのは、近年J・ロッターがオリジナルの九重奏編成を再構成した版。あくまで管弦楽版をもとに推測により復元したものなので(管弦楽版で追加されたスケルツォも含む)、必ずしもブラームスのオリジナルがこの通りだったというわけではないが、作曲者の当初の意図を探ろうという態度を基本としており、作品の元々の響きを考えるにあたって大きな意義を持つものといえよう。いずれにせよ、親密で明るい伸びやかな曲想など、古典的なセレナーデの様式と精神を受け継いだ作品となっている。
 第1楽章(アレグロ・モルト)はソナタ形式をとり、田園的な雰囲気を持っている。第2楽章(スケルツォ、アレグロ・ノン・トロッポ)はやや暗い趣を持ったスケルツォ。第3楽章(アダージョ・ノン・トロッポ)は内面的な叙情を湛えた長大な緩徐楽章で、その奥深い情調は明らかにロマン派のものである。一転して第4楽章(メヌエット)は古典的な明快な2つのメヌエットからなる。第5楽章(スケルツォ、アレグロ)は伸びやかなスケルツォ。第6楽章(ロンド、アレグロ)は快活なロンドのフィナーレで、この大作を明るく締め括っている。
メンデルスゾーン 弦楽五重奏曲第1番イ長調 作品18
 メンデルスゾーン(1809−47)が早熟の天才だったことはよく知られていよう。裕福な銀行家の家に生れた彼は、ベルリンの自宅で開かれていた音楽会のために、子供の時から室内楽や小編成のオーケストラ曲などを作曲し、その優れた才能を明らかにしている。この弦楽五重奏曲(ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ)もその一つ。1826年(17歳)に作曲されたもので、前年に書かれた有名な弦楽八重奏曲ほどの霊感の迸りや構成的まとまりには欠けているものの、その音楽性はいかにも初々しい。また古典的な形式感のうちにロマン的息吹を程よく溶け合わせたその作風は、終生基本的に変わることなかった彼の美質をすでに示している。もっとも、当初の形では緩徐楽章がなく、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にメヌエットを持つ4楽章構成をとっていた。しかし1832年、メンデルスゾーンにとって年上の友人でありヴァイオリンの師でもあったE・リーツが死去し、彼はその追憶のための音楽を作曲、これを弦楽五重奏曲の第2楽章に組み込んだ。そしてスケルツォを第3楽章に回し、メヌエットは削除された。出版はこの形でなされ、以後演奏されているのはこの改訂版のほうである。
 第1楽章(アレグロ・コン・モート)は伸びやかな主題を持つ大規模なソナタ形式。第2楽章(インテルメッゾ、アンダンテ・ソステヌート)は前述のようにリーツの死に際して新たに書かれた緩徐楽章だが、いわゆる追悼曲らしい暗さはなく、叙情的な味わいを持つ。第3楽章(スケルツォ、アレグロ・ディ・モルト)は、八重奏曲のスケルツォとも共通するいわゆる妖精風の軽快な音楽で、それにフーガ風の書法が組み合わされる。第4楽章(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、気分的に第1楽章に通じる伸びやかさを持っている。
シュポア 幻想曲と変奏曲変ロ長調 作品81
 ルイ・シュポア(1784−1859)は19世紀前半のドイツの音楽家である。早くからヴァイオリニストとして活躍してドイツのヴァイオリン流派の祖になるとともに、指揮者としても各地の地位を歴任、後半生はカッセルの宮廷楽長を長年にわたって務めた。作曲家としては、一方でモーツァルトを理想とする古典的な面を持ちつつ、他方で半音階的な和声の多用や甘美な旋律などによるロマン的な作風を打ち出して、ドイツ・ロマン派の先駆けともなった。1814年にクラリネット奏者のJ・S・ヘルムシュテットのために書かれた「幻想曲と変奏曲」も、冒頭の短調の幻想曲(アレグロ・モルト)では劇的な表出性によってロマン的な側面を強く打ち出し、続く長調の変奏曲(アンダンティーノの主題はダンツィの作品から取られている)では古典的な明快さを基調としている(変奏の途中で幻想曲も回想される)。この作品には、クラリネットとピアノの版とクラリネットと弦楽四重奏の版があるが、本日は後者で演奏される。なおシュポアはほぼ同時期にヴァイオリンとピアノ(もしくはハープ)のために同じ主題(さらに別の主題も加わるが)による「幻想曲と変奏曲」の別ヴァージョンを書いている。
ボザ 管楽八重奏曲
 ウージューヌ・ボザ(1905−1991)は20世紀フランスの作曲家・指揮者・教育家である。パリのコミック座指揮者やヴァランシエンヌの国立音楽学校の校長を歴任するなど、様々な要職に就いて活動を行なった。オペラ、バレエ、管弦楽曲、室内楽などを多数作曲しており、特に管楽器のための曲に優れたものが多い。この管楽八重奏曲(オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2)も各楽器の特性をよく生かした作品である。
 第1楽章は重々しい序奏(モルト・モデラート)に始まる。続く主部(アレグロ〜アレグロ・モルト・ブリランテ)は生気あるリズムのうちに楽器がやり取りし、後半いっそう活気を増していく。第2楽章(アンダンティーノ)はオーボエの伸びやかな主題に始まる緩徐楽章で、暗い神秘的な響きに満ちている。第3楽章(アレグロ・ヴィーヴォ)は活発な運動性にあふれるフィナーレである。
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番ト短調 作品25
 ブラームス(1833−97)の残した3曲のピアノ四重奏曲(編成はピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)は、堅固な古典的構築性と内面的なロマン的情緒とが見事に融合している点で、いずれもブラームスらしい傑作である。3曲とも構想されたのは1855年(もしくは前年)頃のことで、本日演奏される第1番は1861年に完成されている。(なお第2番もそれからほどなく完成されているが、第3番はその後何度も書き直されたため最終的な完成は1874年まで持ち越された)。この第1番の着手から完成にいたる時期のブラームスは、恩人シューマンの妻クララに対する秘めた想い、シューマンの死、令嬢アガーテ・フォン・シーボルトとの恋愛と別れなど、青春らしい様々な事件を経験している。この作品にみられる情熱性やデリケートな多感さは、そのような体験の反映とも受け取れよう。
 第1楽章(アレグロ)は、暗い叙情と激しい情熱とが、ブラームスらしい緊密な書法によったソナタ形式のうちに表現されている。第2楽章(アレグロ・マ・ノン・トロッポ)は「インテルメッゾ」と題された3部形式による幻想的な楽章。暗い情感の立ち込める主部に対して、活発な動きのトリオ(アニマート)が対照される。第3楽章(アンダンテ・コン・モート)は、明るいおおらかな主題で始まる表情に富んだ緩徐楽章で、特に中間部(アニマート)では劇的な高揚を作り出している。第4楽章(プレスト)は、「ジプシー風ロンド」と題されているとおり、ジプシー風の主題を中心に情熱的に発展するロンド・フィナーレである。